by saichan_neko
以前の記事
最新のトラックバック
検索
ご意見・感想をお寄せください!
皆さんからの声をお待ちしています。コメント欄またはメールください。ただしイタズラ・荒らし・スパムには厳しく対応しますので念のため。
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
不調のキーボード暴走PCに代わって、新しいPCが家にやってきました。これで文章がまともに打てるようになって、喜んでいます。メールを下さった方、お返事できずにいて大変申し訳ありませんでした。ようやくWebメールへのログインが出来るようになりましたので、なるべく早くお返事いたしますm(_ _)m
PCの設定もまだ終わっていない状態なので、今日は投稿テストも兼ねて短い記事を。 ネットサーフィンをしていたら、ひょんなことでこんな記事が目に留まった。 ここがヘンだよ、クリスチャン! 私も口が悪くて言いたいことを書いているけれども、この記事もなかなか(笑、勝手に仲間にしたらマズイかも)。特に見事だと思ったのはこの一文。 「その失礼な行動が教会では、『霊的』『信仰が深い』とか 意味不明な理由で許されちゃっているのには、強い疑問を感じます。」 確かに、「霊的」とか「信仰が深い」とかいう教会用語は、はっきり言って意味不明な言葉の最たるものであろう。それが理由になって「失礼な行動」が許される教会って何なんだろう、と改めて考えさせられている。 実はつい先日、いわゆる「信仰が深い」人に何度も何度もキリスト教の話をされた挙句、すっかりキリスト教アレルギーになってしまった人の話を聞いて、「またか!」と思ったばかりだったのだ。「絶対に教会になんか行きたくない、お祈りなんかされたら鳥肌が立つ」という言葉に、宣教もこうなるとほとんど虐待だなと実感せざるを得なかった。 本当に「霊的」で「信仰が深い」とはどういうことなのか、一度きちんと、言葉の意味を考えてみる必要がありそうだ。 ネットのおかげで、こういう率直な疑問を個人が公にすることが出来るようになったというのはいいことだと私は思っている。これまでは、疑問に思っていてもそれを表に出す場がなかったのだから。問題は、こういう形で表に出てきた本音をどういう風に一人一人のクリスチャンが受け止め、考えていくかである。それは、「社会に通用するクリスチャン」となるために必要不可欠なプロセスであろうと思う。
by saichan_neko
| 2005-05-12 20:49
|
ファン申請 |
||